栗駒国定公園
岩手、宮城、秋田、山形の四県にまたがる広大な山岳地帯で、公園の拡がりは南北約65q、東西約47qにおよんでいます。ここは、おおよそ三つの山岳群にわけることができます。北から焼石岳一帯、栗駒山一帯、それに鬼首カルデラの一帯です。
焼石岳(1,548m)一帯は第三紀層を基盤とした火山群で、山腹面にはブナ林が多く、山頂部では高山植物が多く見られます。
栗駒火山群は栗駒山(1,627m)を主峰として、1,200m級の諸峰が続いています。それらの植生はほぼ焼石岳と同じです。
鬼首カルデラは、荒雄岳(984m)を中央火口丘として、須金岳(1,243m)、大鏑山(1,112m)、大柴山(1,083m)などを外輪山としています。このカルデラ内には片山地熱地帯があり、火山活動の末期的現象が見られます。
源義経ゆかりの地 奥州平泉
奥州平泉は源義経にとって第二の故郷です。
16歳から22歳までの義経は、藤原秀衡の元で過ごしました。源氏の旗挙げを知るや勇躍して平泉を起ち、平家を西海に滅ぼしたのです。
その栄光もつかの間、兄頼朝に疎まれた義経は、全国各地を逃げのび、再び平泉にたどり着きます。そのとき義経29歳、北方の王者秀衡は昇進の若き英雄を暖かく受け入れました。秀衡はその後まもなく病に倒れ、義経もまた悲壮な最期を遂げたのです。享年31歳。
平泉周辺には義経にまつわる旧跡が数多く残されています。中世以来義経主従最後の地と伝えられてきた高舘の丘には、江戸時代に当地を領した伊達氏により義経堂が建立されており、多くの文人墨客が立ち寄っています。
松尾芭蕉『おくのほそ道』の「夏草や兵どもが夢の跡」も、高舘の義経主従を偲んだ句としても有名です。
風薫る平泉で義経と出会う旅に、あなたも出かけてみませんか?
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